株式会社セールスフォース 代表 河野浩氏
2003年12月27日・2004年1月10日
セールスレップ育成研修セミナー第9回・第11回
今日は貴重な時間をどうもありがとうございます。私は本日セールスレップの講師を勤めさせていただく河野と申します。今、何をやっている会社かと言いますと、皆さんご存知のとおりのセールスレップ事業を真剣に会社として取り組んでいます。
今日はその内容について自分がどういう経験を積んで今どういう事業をやっているか、本当に生の現場の話を一番皆さん知りたいところだと思いますのでその辺を中心に話したいと思います。
私は本当に営業がすごく好きなのです。皆さんも本当に営業が好きだから今日ここにいらっしゃると思うのですが、とりわけ本日は「先輩の方が非常に多いな」というところで逆に私がこんな所でこんなお話をしてというよりも、本当は皆さんからいろいろな意見をいただきながらこの日本型セールスレップ事業というのを一つ一つ着実にめぐらしていきたいというのが本心です。
最初にちょっとご質問だけさせていただきたいのですけれども、ここに集まる以前にフルコミッションッションであるとか、もしくはそれに準じた形で営業に携わった方ってどれくらいいらっしゃいまでしょうか。ありがとうございます。
けっこう僕もやってきたのですけれども、いろいろ大変な思いを相当されていたと思うのですが、僕の経験を含めてお話したいと思いますので、もしかして「こいつこんなことやっていたんだ」と共感できる部分もあるだろうし、「馬鹿だなあ、こいつ」と思うことも多分あると思うのですが、その点はまだまだ未熟者ということで寛容な心で向き合ってください。それではこれから私のやってきたことについて簡単にお話したいと思います。
まず私の自己紹介をします。年は36才です。1967年に千葉県で生まれました。父親は普通の印刷業のサラリーマンをやっていて、少年のとき営業という人を見たことがほとんどなかったのですが、たまたま家に来るようなセールスマンがわりと強引な売り方をしているのをみて、これが営業なのかなと最初は思いました。それが本当の営業とのきっかけです。その当時に思ったのは、もうちょっと僕だったら営業がひょっとしたらうまくできるのではないかなと。俺はこの仕事で身を立てていきたいとは思わなかったですけれども、なんとなく淡い気持ちで興味を持ったというのが最初の時点です。
そして大学を卒業したあと私はバブル経済という非常に恵まれた時代の中で就職期を迎えさせていただきました。本当に売り手市場ということがあったので、就職説明会に行くと何かいろいろお土産とかをもらったりとか、そういう時代で非常に恵まれた就職活動をさせていただいたのですが、そのなかでご縁あって不動産会社、株式会社マックホームという簡単に言うとマンションを作るディベロッパーに就職いたしました。志を持って将来大きなマンションを売ってやろうという気持ちで入ったのですけれども、企画部に配属されて営業じゃなかったなあというのが本音です。
そこの会社に約1年ほどいました。なんでそれだけでやめてしまったのかという話をすると、いきなりに4月に入社したら脱税で告発されてしまったのです。びっくりして親父にとか大丈夫なのかとかけっこう言われながらも、友達からも電話があって嘘じゃないのみたいな話をずっとしながら私は1年間不動産会社に勤めました。そしてそのときにまず自分で思ったのが、「会社っていろいろな会社があるな」ということです。
本当によいものをどうやって売るかというところの収益のあり方っていうものがひょっとしたらこの会社ではまずかったのかなということが自分なりに思いました。しかし、この当時というのは会社のためだったら何でもやるみたいなそういうカルチャーが私たちの会社とには根付いていて、多少はグレーっぽいことでも何でもやってしまおういう世界がすごくありました。
本当に基本的に物を売る世界ってどういうものがあるのだろうと常に模索していたというところがあり、おもいきって会社を1年で辞めてしまいました。それでどうしようかなといろいろ考えたところ、少年時代から独立事業とものを志しておりました。漠然としたものなのですけれども。そのなかで実際新入社員で1年経ってやめたわけですから、勇気があるというわけではなくて何をやってよいかが分らないというところがありまして、その当時人材派遣会社でてんこもりユーザーといいまして、男性専門の人材派遣会社に登録に行ったのがこの人材ビジネス、営業ビジネスとのまず最初の接点でした。そのまま登録に行ったまま社内の営業に携わり実際営業マンとして営業を始めました。じっさい、最初の営業が本当の初めての営業だったのですよ。
飛び込みの営業をさせていただいて簡単に言うとオフィスの上から下まで全部飛び込みで回るという営業なのですけれども、「人いりませんか」と、簡単に言うと。それをずっと延々と繰り返す日々で、このとき私はここでいうのも何なのですけれども、営業マンとしては中の下と書いてあるのですが、あまり成績はよくなかったのです。
1日大体オフィスを70件くらい飛び込みで回って、話を聞いてもらえるのが2~3社くらいですかね。名刺交換など1日2枚とかそんなレベルでずっと毎日毎日飛び込みをしていました。非常にマンネリ感もあったのですけれども、営業で身を立てたいということもあったので精一杯頑ばりましたがなかなかうまくいかなかったというのが最初の営業との出会いです。当時人材派遣業自体も男性職の派遣を私はやっておりましたので、そのときに思ったことは男性の登録者というのはどちらかというとフリーで動かれる方が非常に多かったのです。13年前というと終身雇用というのが根付いていまして、テンポラリーあるいは派遣で働くという人というのはどちらかというとミュージシャンとか芸能的な人とか、そんな人ばっかり。
そんな中で僕ももまれながら、皆さんやっぱりすごくストレートに言いたいことを言いますので、その人たちと一緒に仕事をしていたというのが僕の人材ビジネスの貴重な経験になっています。そのなかで13〜4年前から実は営業職の外部活用というところとで、営業の派遣のニーズが非常に強かったなということに直面したのが現実で、いろいろな企業さんから「フリーの営業マンいないの」という話を何度も何度も私は聞いてまいりました。そのときにこれは営業で身を立てるのだったらフリーの営業マンになろうと強く思いまして、営業マンのフリーエージェントと私は言っておいりますけれども、それを素朴に志したのが約13年前に営業ビジネスのもとのきっかけです。ですからそこから僕の営業、セールスレップとしての人生が始まるわけなのですけれども、一人でとりあえずやってみようというのがその当時の話です。とは言っても、フリーエージェントとは言ってもどうやって何を売ってよいのかというのが私には分からなかったという経緯がありまして、「まずは勉強をしなければいけないのかな」と思い、疑問のあらゆる学校とか営業の実務の学校とかあるのかなと色々調べたところ、その当時は社会人教育とか非常に根付いておりますけれども、ほとんどそういった学校はなかったのです。どうしようかなと。よしということで入ってみればいいだろうと、すごく簡単に考えてしまうタイプでけっこう失敗するのですけれども、アメリカにそういう学校がいっぱいあるという話を聞いていたので、お金を将来のためにためていたという経緯がありましたのでそれをちょっとはたいて海外でセールスマーケティングの勉強を1年ほどしてきました。
始めてそのときに営業というか、マーケティングってなんなのだろうという話を、机上の学問なのですけれども味わって、今まで僕がいた会社というのは1日70件飛び込みをする。もっと売上を上げたかったら72件飛び込みをしろ。そういう指導をされていましたので、いわゆる日本的な精神論的なマネージメントされてきたといいますか。海外に行ったときにそれはそれでよいのだけれどもマーケティングってどこにどうやってニーズがあるのだというところをきちっと分析したあとに営業したほうがよいのではないかと。簡単に言うとそういう学問なのですが僕の中では当たり前だな思うようなことが非常に科学的に分析されていたので面白いなと。そういう体験をもとにわれも忘れて1年くらいあっという間に経った記憶があります。
そして、日本に戻ってきて、志があったということで、フリーランスでやろうと決めて一応独立事業とかっこいい話しをしているのですけれども、単なるフルコミッションの営業マンです。この当時、私は26ですね、年としては。
そこから3年間フルコミッションの営業マンをやりましたけれど、結局ほとんど失敗でした。最初にやったのがペット向けの健康食品とあるのですけれども、その当時健康食品はペットも買うとメーカーの人に言われまして、「これはぜったいヒット商品になるのだ」とわけも分からずそうなのかなと自分も思って、代理店さんになるとき確か100万円かかったと思うのですね、ぜんぜんお金がないのですけれども思い切り奮発して払ってそれで事業としてフルコミッションで営業を始めました。これがまた失敗しまして約3ヶ月から半年くらい、まあペットですからペットショップとかそういうところをとりあえず飛び込みするしか芸がなかったというのもあって、ずっと毎日回ったのでけれどもほとんど反応はなくて、結局自分でくじけてしまって100万円は飛んでしまったという結果に終わりました。
そのときに本当に思ったのは、海外まで行って1年間勉強して、それもかなりお金をためて勉強してきて、マーケティングの勉強もしてきてそれでいざ自分でやってみると何もできないということを痛感して、そうはいってもこの道を捨てるともいえなかったので、次、何か違う商品を売ろうということで、カバンなのですけれども、これは知人関係でちょっと安く鞄が仕入れられるということで、試しにちょっと売ってみようと。普通の男性が持つような黒いカバンなのですけれども、それをたまたまこれも芸がないのですが、飛込みで回ってみたところ、ノベルティでいきなり1ヶ月目くらいで100万円くらいの売上になってしまったということがあり、これは面白い商売だなと考えました。そうしてしばらくやったのですが、それ以来あまりぱっとしない状況がずっと続きました。なんでうまくいかなかったのかなというのをすごく考えたのですけれど、今考えるとすごく明確なんです。ただその当時は何も分からなかったので、とにかく動くしかないだろうということで、朝から晩までほとんどの飛び込みの営業をしていたというのが僕のその当時です。
そうはいっても時代的な背景なのか、携帯電話というものがありまして、これは今皆さん使われていると思うのですが、ちょうどそのころただで携帯電話を上げてもお金が入ってくるという不思議なシステムがありました。これは実は僕はアメリカにいたその当時からただで携帯電話とか配ったりして通話料からお金をいただいているというような企業さんがけっこう多かったものですから、「あ。これはけっこういけるのではないかな」というところで、携帯電話の個人代理店みたいな形で今度は織り込みチラシを打ちながら、連れてきたお客さんと話しをして商談するみたいなそのことをずっとやってまいりました。トータルな成績を考えるとかなり失敗なんですね。苦労したわりにはぜんぜん失敗というところを真剣にとらえて、収入がやはりないと。うまくいかないときは大体3万円とかですから、朝から晩まで働いて給料が3万円。正直家で泣いた経験もその当時ありました。よくよく考えたらコンビニでバイトしたほうが給料高いのだと。何をやっているのだというのを痛切に感じた年でしたね。
そうはいってもなけなしの金をはたいてオレはアメリカに行ってきたのだというところもあったので、これは日本で通用しなければ世界で通用するしかないなということで、アメリカのほうに行きました。場所はロサンゼルスの近くにあるサンディエゴというところなのですが、そこで芸がないのでまた飛び込みで営業をやろう言うことで、商品はカバンであるとかそういう癖があったので、多少は仕入れたり、現地でも友達とかもいたのでそれでアメリカで飛び込みの営業をしました。しかし、失敗なのですね。これはどこに行ってもやっぱりうまく行かない人はうまくいかないのかなと。本当に痛切に感じました。ただ一番面白かったのは、日本でいうと、「ちょっといま間に合ってますので、結構です」という非常にあいまいな言葉尻の文句が多いのですが、アメリカの場合は"I have no money"ですぐ終わってしまう。「お金がない」「お金がない」「お金がない」って10件回って10件とも言われて終わっちゃうみたいなそんな世界だったので、なるほど国が違うのだなというところを感じながらも海外で飛び込みの営業をやっていました。結局1週間もいなかったですけれどね。これはまずいと。なんでこんなに一生懸命やっているのに営業がぜんぜんうまくいかないのだと。オレの営業力はぜんぜんないのかなというのを本当に考え考えて、今これ改めて考えていることなのですけれどもこの段階も、大体5つの問題で失敗していたというのが分析するとこうなります。
ひとつは私利私欲のみの動機とありますけれども、本当にアメリカンドリームみたいなものを完璧に思い浮かべて、とにかく儲けたいという気持ちがすごく頭にありまして、若い身空で行動力だけはあったのでそれがなかなか人に理解されないと。「それは河野の勝手でしょ」というようなこともお客さんから頂いたときもありました。
あともうひとつ、商品に客観性がないのですね、これは。メーカーさんってよいことばっかり言うのですよ。フルコミッションで営業された方って悪いことに関して言われないのですよね。そういうレベルの悪いこともきちっと言ってくれるような会社とお付き合いさせていただいたほうがよい。簡単に言うとこの商品いいのですよ、絶対この商品すごくいいんですよと。でも売ったことも、誰も売ったこともないみたいなそんな商品ですけれども、河野さんだったら売れますよ。「あ、そうか。そうか。僕だったら売れるのかな」と思ったりして。結局は失敗してしまったと。そこで本当に思ったのは自分の目できちんと商品を見定めて誰がなんと言おうと悪い部分は悪い部分だと。できれば売ったお客さんがいるのなら、お客さんに聞いてみるとか、ちょっと試験的に検討的にお客さんの話を聞いて物を判断しないと失敗するケースというのは非常に多いのかなというのを痛感したのがそのときです。
それともうひとつは販路と信用力がないこと。私は個人事業主でそうなって有限会社にはなりましたけれども、ほとんど信用というものがありません。販路も飛び込みで回っているわけですからほとんどまったくないも等しいのが現状で、最初から売り先がないのにフルコミッションッションで物を受けて成功する。まあ簡単に言うと計算が成り立っていなかったのですね。かならずしも販路がないから成功しないとは言えないですけれども、どういうところに売るかというところが明確でないと、僕のように失敗してしまうのかなというのをすごく実感しました。
あともうひとつは戦略性がないということなのですが、気合と行動力のみと考えると書いてありますが、僕なりにアメリカに行ってマーケティングとセールスの勉強をしてきてそれはあくまでも机上の話だったのですね、簡単に言うと。これで結構勝手に頭のなかで思い込んでそれでいざ行動をしてみるとひとつ行動を間違えると、机上どおりにはぜんぜんいかない。そうなってきたときに臨機応変な仮説を検証するみたいなことができないですね。わからなくなってきちゃうととりあえず数打ちゃ当ればよいということで、なりゆき任せでやってしまって失敗してしまったというのが大きかったですね。
それともうひとつは貧乏で心に余裕がないとあるのですが、われながら大口の受注を取りたい。取りたい、取りたいという気持ちが非常に強くて、お客様はやはりいろいろなニーズがありますからひとつの大きい商品を押し付けても絶対買ってくれるわけないし、こっちの都合でしかないので。そうはいっても自分の生計が立たないというところがあったので多少強引にどうですかみたいな話をしたのが逆にお客さんからするとうざったがられてしまう。こういうのが5つ全部そろっているという条件だったので今考えると成功するわけはないですねというのが本音のところです。
もっと簡単に言うとビジネスというか営業というものをなめていたんですね、自分で。最初飛び込みの営業とかでやれれば、なんだ会社に入っているからいいのかななんて思ったのですけれども、それは会社に給料をもらっていたというだけの話で、自分のなかで簡単にうまくいくなと思ってもまったくどこに問題とかリスクが潜んでいるかということが非常に甘いまま若い勢いでやってしまったので、収益が簡単に上がるだろうというふうに思っていたと。実際は違うのですねとよく言われました。そんな簡単にうまくいくのはビジネスではありえないよと。大体3ヶ月くらいは基盤を作るとかお客さんとコミュニケーションをとるとかそういうレベルでしょ。半年くらい経ってやっと芽が出てそれで売れが出てきてある時期になったらもう一気に売れ始めるというのが営業ではないかと。それはその通りだなと本当に思ったのですけれども、最初の頃のイメージというのはメーカーさんに儲かりますよと言われてやっていたというのもあるのですけれど、簡単に儲かるのかなと。もういっぺんやってかなり失敗したというのがその当時な経験です。ですからいまもその時のことを思い出して、本当に誰がよいといっても自分で本当にいいのかどうかというのをつくづく見極めたうえでいまビジネスに取り組んでいるというのが私の現状です。
自分の話をずっとしているのですけれども、やはりそうなってくると食えなくなってしまうのですね。皆様もセールスレップとしてやっているということは、うまくまわっていくとすごい収益が回ってくるのですけれどうまくいかなくなるともうぜんぜん食えないということに直面する可能性はあると思うのです。私の場合はそれが現実として身の回りで起こりました。本当に食べられないというか、やっても、やっても先が見えないという状況なので、昼ご飯とかはスーパーとか試食とかでごまかして食べたりして、とりあえず水はただだから水を飲もうとかそんな世界で営業をしていたというのが現状です。それでやはりこれは成り立たないなと自分なりにその当時は思ったところもあり、もとより派遣会社にいたのでちょっと仕事を紹介してもらいたいということで、本当に屈辱だったのですけれども、派遣会社を辞めるときには一応立派になって営業でナンバーワンになるみたいな話をしながら会社を退職した経緯があったので非常につらい思いをしたのですけれども、一応電話をしたところ非常に温かく迎えていただきました。非常に徳のある上司だったので、「何だ。何だと。そうか。そうか。すぐうちへ来て働けよ」と。とりあえずいいから飲みにいこうと。それでお酒を飲みながら自分の話しをしたら、とりえずちょっとやってみないかということで、派遣業の、これも男性専門の派遣なのですけれども、そこの営業に携わりました。そこから何か知らないのですけれども、営業の業績がナンバーワンになったのですね。それもダントツだったのですよ。なんでかなと思ったのですが。
ここに書いてあるのですけれども、大リーガーで下のほうって、個人事業ってもう食うか食われるかの世界というのが非常にあったので、やはりシビアな世界なのですね。そのなかで会社の看板というのがあると思うのです。僕はその会社の看板ってあまり感じなかったのですけれども、会社に入って売上がナンバーワンになったときに会社の看板ってすごい大事なんだなということに、普通の人は多分逆の話を聞くんですね。会社を退職して個人でやるとああ会社の看板は大事だったなと気づくという人は多いと思うのですけれども、僕は逆のパターンでいい感じになったと。それと男性の本当にフリーを目指しているような人たちがスタッフとしてほとんどだったので、その人たちと自分の行き方みたいなところとか本音で話し合えたというところが、非常にスタッフと心が通じ合って派遣業ですから自分の実績として跳ね返ってきたかなというのがその当時の実績です。
あとやはり営業でその当時やっていった人も、飛び込みやってこれも僕も飛び込みをやっていたのですけれども、まわっている数とかぜんぜん違ったのですね。昼ごはんとかぜんぜん食べないというか、食えないこともあったから昼も働くみたいな習慣になっていまして、企業さん、これ人事部とか総務部とかに営業するのですけれども、昼休みにも営業していたというのが習慣になっていて、別にえらいということではなくて、昼とかに行くとなんで昼来るんだみたいな話になるから、そうすると「いやあ。職場仕事中は忙しいからわざわざ昼を待っていたんですよ」と口ではいろいろ言いながらとにかく行動力があったのかなと今考えるとそう思ったりします。
あと細かい術は覚えましたね。受付を突破するのに、受付の姉ちゃんに飴を上げたりなんかしたりして、「ちょっとお願いしますよ。上司につないでくださいよ」といいながらやったりとか。そんなのを延々とやっていて、結局決断者に会えるかどうかというのが営業なのかなと思っていたので、そういう細かい個人的な術を施しながら営業をしていたというのが結果につながったのかな。それが僕の派遣に入って初めて営業ナンバーワンに、このときにやはりオレは絶対向いているんだと。個人事業で始めたけれども、それは挫折したけれども、いままだ会社に入ってやればこの事業は絶対自分で成り立てるんだなという自信を胸に、「よし」ということでまた会社を飛び出すことになるのですが、このときにまたひとつ出会いがありました。
ひょっとしたら皆さんアントレっていう情報誌ってご存知ですか。リクルートさんで出している、今はフランチャイズとかの情報誌しか出してないのですけれど、その当時はビジネスマンの情報を交換するようなそういう雑誌媒体だったのです。僕自身がその派遣会社である程度時自分なりに実績上げていたので今度は外部の人とうまく一つの営業ビジネスをつくっていきたいなという思いがありまた。たまたま買った雑誌に営業職むけの派遣会社を作りたいという方が情報を求めていらっしゃったので、その方にちょっとお会いさせていただいて非常に意気投合して、日本に営業ビジネスというものを根付かしたろうということから、株式会社コンフィデンスという会社なのですが、1998年の3月に創業しました。これもやはり何だかんだって事業というか営業ビジネスのフルコミッションでも何でもそうなのですけれども、そんな簡単にはいかないですね。最初は資金の問題がありまして、当初5千万の資本金を元手にビジネスをやろうというところでいろいろな企業さんと提携をさせていただいて始める予定だったのですが、これも営業と一緒で結果を出さなければという仕事だったのですけれども。と同時に営業を一緒にやろうと思っていた営業ビジネスを志している人が5人いて3人やめちゃったという話なのですけれど、このとき思ったのが、お金がないとみんなやめちゃうのだなと。簡単に言うと、前日まですごく盛り上がっていて、よし営業ビジネスをやろうと。日本に営業ビジネスを根付かせるぞと、すごい心意気を持ってみんなでお酒を飲みながら朝まで語ったりなんかしていたのですが、お金がやばくなるとみんなすっといなくなってしまう。そういうものなのだな世の中って。僕の場合は続けている理由が、営業が好きだからというか、馬鹿なのかなと思いながらもこの当時を振り返るとこれも必要なのだということを強く思いました。ですから、なんだかんだいっても生活を維持するだけの給料とかは用意しないと事業というのは絶対うまくいかないなというのをつくづく感じました。ある人は家族があるとか。ある人はやりたいことがあるからとか、いろいろ言うのですけれども結局皆言い訳だと思うのですね。僕なりにも言い訳を言ってもうやめてしまいたいなこの仕事と思ったことも多々あったのですけれども、やめるとそれ以前の自分を全部否定しなければいけなくなるので、よし、と腹をくくってまた始めたと。
最初はあまり会社がきちっとできてなく、また給料がなかった状態が続きましてそこからのスタートになりました。この会社は人材派遣業で営業マンを企業に派遣する、それと同時のその当時アウトソーシングというような、企業の外部活用というところが、企業も事務系の給与計算とかそういうのを外部活用すると思うのですけれども、営業マンを外部活用というのはあまりいなかったのですね。そうはいっても非常に世の中のニーズにマッチングしていたのですかね、営業アウトソーシングサービスというのは非常に伸びましたね。最初営業に行ったときは、何で営業マンを外部のフリーの人に任せなきゃいけないんだとコケ下ろされたりして、そうはいっても都会いながらそういう日々を送っていたのですけれども、半年くらいそれを続けているとひそかに試しにやってみるよというお客様が、何だ。正社員よりもぜんぜんいいじゃないかと。結局、期間限定で、正社員だと終身雇用しなきゃいけないからなかなか育つ、育たないというのもあるから、営業マンを外部活用したほうがいいじゃないかという企業さんも徐々に徐々に増えてきました。それともうひとつはベンチャー企業さん、その当時ITバブルというのが非常に大きく、いわゆる技術系の社長さんが起こした企業で、よい商品には資金が付くのですね。資本金が1億2億とか集まっているけれど営業は何もしていないという会社とか、営業分からないのですよという会社が非常に多かったので、僕らにやらしてください営業をということで。そういうベンチャー企業の営業強化というニーズが追い風になりまして、1年目が売上で6千万、2年目が2億5千万で、3年目が5億円にいったという、僕の人生の中で初めての成功体験だったのですけれども、サラリーマン時代の成功体験と違ってこれは非常に自分にとっては自信になりました。企業が営業の外部化というのを求めているということはもう明らかなニーズだなということを痛切に感じました。しかしまたここでいろいろ問題がありまして、実際私が手がけた、今は自分で独立をさせていただいているのですが、4年間で約53件も営業のプロジェクトを動かしてまいりました。そのなかで実は大成功のものは6件なんですよ。逆に言うとほとんど失敗しているのですね。失敗とは言わないまでも、とんとんであるとかを含めると、やはり大成功は6件なのですよ。ベンチャー企業さんなんかで今上場している会社ってあると思うのですけれども、先日投資しているような機関の人と話しをしたところ、やはり20件に1件成功すればいいなと。簡単に言うと。それでそのベンチャーキャピタルという事業は成り立っていると。ですから営業アウトソーシングというのを全部が全部成功しないということ。そうはいってもメーカーさんとかは全部が全部成功するように僕には聞こえてしまっていたのですね、昔は。
実際にいろいろなメーカーさんからの話を今でも頂いてますけれども、現実問題として成功できるのといったら、本当に一握りなのかなと。そうはいってもわれわれ営業ビジネスですから、その一握りを普通の人が営業するのであれば10%くらいしか売れなかったものを、うちは60%売りましたよというところまで持っていくのがわれわれの仕事で、中には市場にマッチングしていてうまくいくようなサービスがあると。それはもうそれだけの苦労をして勝ち取ったものですから、それは大きな収入をいただくというのが営業ビジネスの原点なのかなというのをつくづくその当時は感じていました。
そういうところも含めて営業プロジェクトでそのとき失敗した原因というのは一体なのだろうかというのを突き詰めて考えてときに4つほどあるのですけれどもひとつは商品があります。しかし事業戦略があいまいであると。事業戦略ってなんかややこしい言葉なのですが、要は価格が高いとか、それが女性向けの商品なのか男性向けの商品なのかなんだかよく分からないものであるとか、あと営業戦略がないという、これは例えば営業の代理店で売るとか。代理店で売る場合には利益率がぜんぜん割りがあわないのではないかとか、そういうようなことを含めた営業戦略という部分でこれがぜんぜんないのです。物は確かにいいのだけれどそれを売ってもあまり儲からないとか、誰もやらないじゃないですかというような商品が非常に多かったです。
それとあとは営業方法がぜんぜん整備されていないというのは当たり前なのですけれども。まあベンチャーさんなんかで、いったらそのワープロで商品説明が1枚くらいあって、
これ売ってくれみたいな話になって。お客さんのところにこれではちょっと売れにくい、もうちょっと何かかっこいいパンフレットみたいなものはないのですかと言ったら、そういうコストはかけられないと言われたりして、どうしようとか。そういう企業さんがけっこう多かったので、営業方法が整備されてそこそこできる営業マンであれば、標準的に売上が上がるような企業としての環境になっていない会社というのは非常に多かったです。逆に言うと営業業務をいかに標準化していれば、営業マンを採用すれば売上というものは順調になると思うのですけれども、そうではなくてどうぞ人を増やして売上を強化しようという話に僕らも乗ってしまって営業マンを入れたのだけれどなかなか売れなかったということはありました。
それとベンチャー企業さんで、僕の経験もそうなのですけれども、やはりお金が無くなってくると人間は人のせいにするという習性が、自分自身もそうなのですけれども、これは絶対普遍の理論かなみたいなところがありまして、ベンチャーさんの企業であまり資金的な余裕がなくて虎の子の1千万くらいで営業の外部活用なんかしちゃうと、うまくいかなくなり始めると人間関係が崩壊しやすいのですね。そうなってくるとそこで働く営業マンもそこに居辛くなったり、一生懸命活動はしているのだけれど、なかなか冷たくされたりとか。つまんない話なのですけれど、人間関係が崩壊するとなかなか営業成果も出ないというところもあったりして。
あともうひとつはフリーランスという概念が非常にあいまいなまま営業マンに伝わっていた部分があります。特に人材派遣でわれわれは外部の営業マンというのを採用していた経緯があって、ある意味時間から時間いればお金もらえるのだなという考え方も非常に多かったというのがあり、そのへんのモチベーションの部分ということが非常にマネージメントの部分でできてなかったのかなと。逆に言うと今日集まっていらっしゃるような方々の意識というのが各営業マンにあれば、ぜんぜんプロジェクトの実績が変わったのかなというところはありました。
この4つの項目をきちっとクリアすることができなかったので失敗したというのがありました。簡単に言うと営業マンは営業を売るのが得意なわけですから、それ以外の業務にいろいろあれこれ気を使わせたりなんかするとなかなか集中できないのです。そういう環境を僕らなりに作ってしまったというところが失敗した原因の最大ですね。やはり優秀な営業マンってすごく多いのですよ。そういう方にキチンとした方法でキチンと顧客に対して継続的に上げられるような仕組みを作らなければいけないなということを強くこのときに思ったのが私の感じた経験です。
もうひとつ言うと営業プロジェクトを失敗から学んだこと。これは2つに凝縮されているのですが、ちょうどいま言った話とまったく一緒の話で、ひとつは独立自営の意識を持った営業マン、営業マンってやはりあと一歩踏み込めるかどうかというところってあると思うのですね。あと一歩。あと一人のお客さんと会えばとか。あと一回こういう話をしていれば展開は違ったとか、そういう一般的に、行ったけど何も話ができてないで終わっているのと、一歩踏み込んだおかげで相手の本音が見えて、実はこれを買いたいと思っているのだけれど、うちの会社としてはこういう事情があるからいまは無理なんだよという話をできて終わるのとできないで終わるのはぜんぜん次のアクションが違ってくるし、人間関係もぜんぜん違ってくる。それはやはりそういう人間関係をお客さんときちっと作っていくためにはやはりその人がそのものもそうだし、人間として責任を持った考え方でお客さんと接していかないと難しいのかなというところで一番思ったのは、本当に独立自演の意識を持った営業マンが入ればもっともっと成功したし、もっともっと売れたのかなというのが現実です。
それともうひとつ、営業のパフォーマンスを最大限発揮できるようなそういう仕組みであるとか、そういう環境整備ができていなかった。先ほど言った話ですけれども、この2つがすごく欠けていたので営業活動を通じて、ここに書いてありますがPAY FORPERFOMANCEパフォーマンスと書いてありますが、本当の実力主義であるとか、売った人はそれだけの高収益をもらえるというような仕組みになってなかったなというところが、ここがけっこう自分なりにつたない経験の中からなのですけれども、痛切に思ったことです。
本当にこのときに自分自身が痛切に思ったのが、営業アウトソーシングのプロフェッショナル、営業アウトソーシングってセールスレップも全部含まれることなのですけれども、会社って日本のどこにもないな。結局は企業はリスクレッジするから、お客さんはメーカーさんであればお金をもらって営業マンにこれ売ってくださいといってそれで手数料をもらうくらいの話であって、受けた営業マンの生活がどうなるのかというところも含めた、一歩踏み込んでいる会社ってどこにもないなと。これってアメリカではやはり根付いているビジネスだし、なんで日本に根付かないのかなあというところで、これはやはり自分の経験を含めて、やはり営業マンだったら高い収益を上げたいという本能とかがあると思うのですよ。競争して勝ちたいとか。そういうところを実現する会社を自分が作っていかなきゃ。なければ作ってやろうかなと思い、いろいろな人に正直言って聞きました。営業をやっている方なんかに言うと、「そうですよね。河野さんの言っていることは確かにそうですよね。僕らなんだかんだいっていま終身雇用を誤解して、営業マンには実力主義だ、なんだかんだいっても、結局年功制がいまだに根付いていたり、会社の方針で売れない商品とか部署に回されたりして、それでも売れないのは営業マンのせいになったりとか」と悲観的な話もあるのですけれども、それはやはり現状で結構多いのかなと。僕なんかもいろいろ話を聞いているとこの人本当は営業すごく出来る人なのにあまり給料もらっていないなとかそういうのも非常に多かったり、あとは生保の友人なんかにもいろいろ話をさせていただいたのですけれども、結局は独立的な生保の営業であったとしても、企業側から見るとマーケットを増やすためには営業マンを採用すれば勝手にマーケットは増えていくだろうと。簡単に言うと1人契約を取ってしまえばもう何十年と契約が入るので営業マンは使い捨てでもいいやみたいな感じが非常に強いよ、みたいな話を聞いて、確かにそうですねということを実感しました。本当の営業のフリーランスをやれる会社を、一歩踏み出た自分がもう一歩踏み込んでみようというところで、それをビジネスプランという形でいろいろな人にご相談をさせていただいて具現化させていただきました。それでやっと今年の1月にセールスフォース、営業力という名前なのですけれども、そういう会社を創業したという形です。
さあこれからどうやって会社を大きくしていくか、基本的に僕は営業マンなので自分で営業をどうとって行くかというところを主眼において事業を考えたのですけれども、ほとんどかむところがないのですね。以前の会社は確かにお付き合いがあったのですけれども名刺とか全部置いてきたし、親しい顧客は1社か2社くらい。まあ数あげれば多少あるけれども、企業をやめたということもあるけれども、モラルの問題もあるのでほとんどないというのが現状でした。あと資金がないというのがやっかいなのですけれども、いろいろ考えてもなかなか資金が出てこないという現状。ひとつこれはあるなというのが営業ビジネスのノウハウですね。ノウハウといって実は失敗ばかりしているのですけれども、経験があるということだけかもしれない。それが自分の唯一の強みなのかなと。あと信用力という個人として事業としてやっていくので会社の信用力のほうが高いですね。そういうところから、いわゆる一セールスレップとしての事業を始めるのが同じだなというところからのまたスタート地点に立ちました。販路がないなというところで以前は飛び込みの営業で無理やり作っちゃえというような行動をしていたのですが、多少私も大人になったのでしょうか。販路がなければそういう仕事に携わっている会社と組んじゃえば早いじゃないかというところに話を移転しまして、縁があったのが大手の人材派遣会社の大手企業さんなのですけれども、そこの派遣会社の、営業職の専門派遣をやっている会社がありまして、派遣会社のマーケティング会社なのですが、そこはぜんぜん話をしたことがなかった会社なのですが、僕はこういう生き方をしてきたんですよという感じで話をしたところ、そこの社長さんが一度あって話をしたいというところまでになりました。実はこういう事業を真剣に考えているのですという話をしたところ、資金がないので出資してくれないかという話をしたのですが、その人材派遣会社というのは大企業であるとかといういうのはぜんぜん考えない会社なんで、うまく業務提携をしてこの業界を大きくしたいですねという話をいただいたので、「あそうですか」という形で僕にはすごく運がよかったのですが、そういう会社と信用関係を結べたのがひとつですね。
それともうひとつはベンチャー企業を支援している団体さんがありまして、いろいろ日本のベンチャーさんはやはり営業力を強化して大きくさせていかないと、大手さんは確かにいいかもしれないけれど、中小企業でいい物を持っている企業さんってなかなか成果が上がってこないとかということが多いんですよね、という話を色々していたところ「そのとおり。そのとおり」という話になりまして、ベンチャー企業支援団体さんと一緒にやりましょうという話もいただきました。それで販路がないというところから何とかクリアされたのかなというところです。
さっきの話になるのですけれども、その人材派遣会社さんとはうまい感じでほとんどセールスレップ状態ですから、会社というよりも個人と会社がアライアンスさせていただいたということで、僕もびっくりしているのですが、先方から僕の営業ビジネスのノウハウを会社として共有したいというオファーをいただいて、僕は失敗ばっかりしているのですけれどもいいんですかみたいな感じで、でも営業ビジネスはきちっとやりたいんだよという話があったので、運がやはり強かったみたいです。あと僕自身営業ビジネスをやり続けているということを評価してもらったみたいです。というのもこれしかなかったというか、営業が好きだからだけなのですが、非常に評価をしていただきました。それとあと人間的に主義に反するというか、裏切らないと、本音で飲んだ時に言っていました。僕はけっこう失敗してきたのですよとか生の話をいっぱいして、こういうふうになっちゃうんですよ、みたいな話を全部正直に話したら向こうがどんどん信頼をしてくれたのでよかったです。あと、マーケット自体は大きくなっているということなのですね。派遣法が改正されて企業の営業の外部化ということを、かなり力を入れて考えていて模索している段階なので、マーケットが増えてきたというところと僕みたいな人間がひょっこり入ってなんか話しが通じたかなというところが正直なところです。問題は事業を始めるにあたって資金がないということです。食うにも食えないみたいな生活で。よくよくわれに返ってこれ営業ビジネスだから売ればいいじゃないかと。簡単に言うとイニシャルコストがないので売って稼ぐしかないんじゃないのという、なんだそれでいいじゃないかみたいな感じで自問自答して、ここはよし売ってやろうというところでスタートしました。
あと信用力がないというのは、人間的にはいい人とか言われたりなんかもしていたのですけれども、会社としては全くドジみたいなものなので、そのときその人材派遣会社さんにちょっと名前使わせてもらっていいですかみたいな話しをして、なんか上場企業の契約もたどり着いちゃったかなというのもありました。あとやはり中小企業のトップダウンの気質の強い会社なんかですと、もうお前が決めたから一緒にやれよみたいな話もけっこういただけるので、「あ。そういう企業さんとはお付き合いさせていただきたいです」みたいな話で、あとは自分のやってきたこととその情熱をそれなりに話をすると契約までの信用力というのはできてくるのかなと。あとちょっとご縁があったのはここにも協賛している中小企業総合事業団という団体さんのセールスマーケティングの専門コンサルティングというと非常にかっこいい言葉なのですけれども、何かそこにも加えさせていただくことができまして、たまに営業コンサルとか、あまりコンサルは好きじゃないのですね、実務肌ですから。でも何かそれを受けているうちに信用力になっちゃったのかなという感じです。
そう考えると昔に比べるとちょっと大人になったかなと。あと一つ一つない事がないと分かればそれに対して対策を考えることは馬鹿な僕でもできたので、ないことはないと認識することが大事かなと思いました。あとはやりようですね。まあここに事業団のコンサルタントになった経緯が書いてあるのですが、これも非常に当たり前といえば当たり前の話しかっも知れないですけれども、現場感のある人がほしいと企業さんがいっていたらしくて、たまたま僕のクライアントさんになった企業さんが支援モデルになっていたら、「こういう河野さんだったらやってくれたほうがぜんぜんうれしいですよ」なんて話をその事業団のほうにしていただいたので、何か知らないけれど僕が推薦されてしまってですね。人から推薦されるというのは生まれて初めてだったのですごくうれしかったのですけれども、私の営業ビジネスの経験、これけっこう失敗している経験が非常に多いのですが、それがうまく推薦されてなんかコンサルタントになっちゃったという形ですね。準備が多少自分なりににできましたよというところであとは、やはり企業は人なり昔から言うように営業ビジネスでやれる、一緒にやっていく非常に志が高いような営業系の人材がいないと成り立たないなというところで、まあ前職の絡みなどもあって運良くよいメンバーに恵まれましてちょうど5人ほど営業ビジネスをやりたいという方に賛同していただいて、事業がやっとスタートするところまでこぎつけました。今回はいままでかなり失敗をして、コンフィデンス時代売上の多くまで行ったのですが、営業的な実務面をもっと改善したいということで、普通ならばそのまま行けばいいのかもしれませんが僕は改めて自分のフィールドというところでちょっと外に飛び出させていただいたんですが、うまくまわり始めてきました。
よくよく考えていくと、よく皆様方が言われる当たり前の話なのですけれども、それを今までただやっていなかったというだけの話でしかなかったのですが、志をまず持って事業をやっているということですね。自分で言うのもなんなのですけれども、昔の自分を考えるとやはり純粋に自分の考えというのが強かったので、純粋にこういう自分が経験をして、苦労といえないかもしれませんがそういうことで今後営業マンとして何か能力が埋もれてしまって終わっちゃうような人がいたらまずいなと真剣に思った、そういう志ですね。とにかくセールスのフリーエージェントを世の中に活かしたいと。そういう志を持ちましてそれにある部分呼応していただいたのかもしれませんが、5名ほど集まっていただいて、またこういう席でお話をさせていただいて、そうすると営業ビジネスってやはりなんだかんだ言っても営業ですから、人の営業をするわけなのでその人たちが営業サービスを企業に対して提供する。営業サービスが最終的にはお金を生み出すということなのですが、このサイクルが当たり前、いま考えればすごく当たり前なのですが昔はぜんぜん気づかなかったと。お金を生み出せば一緒にやってきた人というのは非常に面白いねという話になりますよね。集まった人たちが自分の夢にチャレンジできるじゃないですか。そういうところが以前の経験で、お金がなくなるといなくなっちゃうというのがすごく目に見えて経験していたので、集まってくれる人たちが自分の夢にチャレンジして、自分の夢を実現する、このサイクルがきちっとまわり始めれば必ず事業はまわっていくのかなという確信を持ちまして、企業自体が大きくなりつつあるというのが現状です。
では具体的にどういう、今日こられている皆様方もそうだと思うのですけれども、我々が今一緒にやっているメンバーってどんな人がいるのという話をしますと、簡単に言うとやはり敗者復活がけっこう多いです。一度自分なりに営業関係を強みとした事業を自分でやってある人は大きな会社で営業部長をやっていた人とか、そのあと自分は独立したけれどいろいろと自分なりに事業をやっていたけれども一回失敗してまた何か営業を中心としたキャリアを生かして成功したいとか、そういう人たちがけっこう集まってきました。後独立はまだしていないですけれどもこれから営業ビジネスを中心にひとつ一花咲かせてみたいという方が約3割くらい。そういう感じでわれわれのメンバーというのが構成されています。皆さんの話をいろいろ聞いてそれを実現したいというところで事業自体をスタートしますので、簡単にセールスレップを通してどうなりたいのかという話を聞きますと大きく2つあると思うのですが、ひとつは営業のプロとしてスペシャリストとしてやっていきたいと、もうひとつは、営業スペシャリストはスペシャリストなのですけれども、それを今度バネにして事業としてやりたいと。要はゼネラリストと書いてありますけれども、ひとつは個人力を生かした営業のキャリア。もうひとつはそれをベースにした組織を率いての営業力を高めたいというところで、やはりいま参画していただいている方というのはやはり企業組織に縛られずに成果主義によって自己実現をしたいと。高い収入を得たいと。営業ですから高い収入をもらわないとどうしようもないので。そういう方が僕の知っている限りでは当たり前なんで、いろいろな方のニーズがあると思うのですが、いま私たちに参画しているのはこういう方が非常に多いのです。多分皆様方もこういうニーズってあるのかなと私なりに推察させていただいております。
そこから私たちの事業をちょうど今年の1月から始めて具体的な内容の話をかいつまんでしますと、創業当初ITベンチャーといいまして普段皆さん携帯電話を使っていると思うのですが、これを使って顧客の管理をしたりとか。今までDMとかを送って葉書とかで。これも代理店がいないとき創刊される情報誌、雑誌媒体ですね、それを今年の9月から来
年の2月に向けていままさしく営業、年越しも含めて最後の最後まで営業活動をやっているという段階ですね。
もうひとつは、IT系ベンチャーさん。これファッション系の情報を、IT企業用にですが、私の経験ですと53件やったうちの大きいほうですから、かなりはば広い業界をなさった経験もあるので、いまちょっとかたよっているかなというところがあります。これはファッション系の戦略ととられた、僕もよく知らなかったのですけれども、若い20代前半くらいの女性向けの、彼らは非常に優秀なブランドをセレクトして売ろうという、実はセレクトショップといいますが、そのセレクトショップが数社集まって女性向けに情報発信するというような携帯のサイトと、あとフリーペパーを発行している会社です。ここは10月からスタートさせていただいて、何のことはない、営業はすごく多いのです。でも実際に代理店に対して商品説明を1回しただけで代理店の人が営業をほめてるとメーカーさんはパリに残っていたらしくて、それはありえないことじゃないですかという話から入って、ちょっとそんないい商品でしたら代理店も含め自社で売ったらもっと売れるんじゃないかなという話からスタートさせていただいています。もう何か売れそうな感じで来年の頭には契約になれそうなところも出てきているので、ここはかなり面白い会社だなと実感しています。
あと来年はITベンチャーさん、通信系なのですが、そこも1社スタートする予定です、これを着実に以前自分がやろうとしていた営業のセールスレップ事業ですね。それをちょうど1年ほどさせていただいて、やっと実現できつついあるかなというところで、お客さんというのはクライアントさんであり、その売った顧客であり、そういう方の指示はちゃんと受けて、売ったけれどリピートしないという営業は営業ではないと思っておりますからリピート率の向上を含めた形で実績でこる動きになったというのが現状です。
ところで何とかこぎつけた経緯というのが常にいろいろな方の力をお借りして、実際は営業を。
いま1年ほどセールス事業をさせていただいた方で、実務面で経験面から自分も学んだことを大きく3つほど上げさせていただきました。これはあくまでも私の経験なので他の方は、確かに合っているけれど違うなということも多々あるかもしれません。
一つ目は継続して売上を上げていかないと、僕なんかは食えないときもあったので、仕組みというものもこれは必ず必要ではないですかというようなことを常に自分達は考えるようにしています。簡単に言うと仕組みというのは、この商品のこういうところがよいからここを売ろうとか、そういうところも全部含めていくらくらい売ればいくらくらいの収益があがるか。生活が成り立つのかそういうのを含めて継続しての売上ですね。一回売って終わってしまうとなかなかつらいですね。継続的に二次商品があるのかとか、もしくは継続収入が入ってくるのかとかそういうことをきちんと自分ではまず押さえるようにしています。
もうひとつは外的要因と内的要因の分析をしっかりやると書いてありますが、外的要因って競合他社がなん企業あるよとか、競合他社が安い値段で出ていたら値段を立てないとか。よくメーカーさんに言われるのが、「うちの商品、競合他社がないですよ」とか言われるのですが、まあサプライ商品なんかですとサプライ商品自体全般が競合商品にあたったりして、同じ商品でなくても違う商品が競合だったりということがあるので、そういう分析というとあれなのですけれども、そういうものをきちっと自分なりに見極めるようにはしています。あと内因的要因というのは、自分がそれを売るという前提に立ったときにどこが自分は強くて、どこが弱いのかというところを商品的に客観的に認識する努力をしています。一番は客観的に、なかなか自分の弱みとか悪い所もそうなのですけれども、なかなか正直になれなかったというのがあるのですが、正確的に認識してそれに対してしっかり対策を実行するということが自分は今心がけています。ここにメーカーのうそと書いてありますが、実は全部が盛り込みなのですね。メーカーさんサイドは自分の商品が絶対よいというもとに商品を開発していますから、逆にそれがないとやばいと思いますが、でもそれでも確かによい商品なんだけれど、使っている人のとっては何がメリットなんだというところが非常にあいまいであったりというケースがあるので、性能はいいけれど使い勝手は悪いとかですね。そういうことも含めて悪い面をまずうがった見方をしながら、本当にこれ大丈夫なのかなというところを認識し把握するようにしています。
あと、使用方法を明確にして自分なりに簡潔に言えるようなものを扱わないとなかなか厳しいだろうと。非常に複雑な商品でどこが強みなのか一言でいえないと逆に言うとお客さんに伝わらない部分というのが多々ありましたので、そこは非常に簡潔に言えるように心がけています。ちなみに私たちの営業サ−ビスの強みというのは、どこに売るのかということをきちんと見極めましょうというところと、どうやってそれをお客さんにアプローチしていくかという方法論ですね。そこを明確にすると。それをどのような人が営業を売っているのかという、人の部分が私たちの会社の強みです。そんなところをきちっと踏まえてうえで現実レベルで実現可能な実行計画立てるようにしています。
過去こういうお客さんがいっぱいいましたとか、このへんは売れそうですとか、いまここがとれそうなのです、とかいう話はすごくメーカーさんからも聞くのですけれども、結局その契約があっていないとそれが本当かどうかという検証をしようがないので、自分達がお客だったらこれが売れるなというようなところをきちっとした根拠を元に数値をある程度出すようにしています。もちろん営業なので私も営業目標をかなり吹っかけた記憶があるのですが、なかなか目標を達成したときには実はもくろんでいた数字とはぜんぜん違うお客さんが入ってクリアしたというようなケースが現実にはほとんどなので、どこまで正確なのがだせるかという話になるのですが、ただ自分の目と耳と鼻できちんと見極めてそういう計画を立てるということが私も心がけていることです。
それともうひとつはお客さんとメーカーさんとそのあいだにわれわれが入っている事業体ですので、それがお互いにハッピーにならないとどこかでくずれていくので必ず共存共栄できる関係というのをしっかり築くようにしています。メーカーさんは高く売りたい。お客さんは安く買いたいというところで、結局そこが共存関係できないではないかという話はもちろんあるのですけれども、あくまでも適正価格でお客さんが買えばそれはそれですごくメリットがあるし、逆にメーカーさん、これちょっと高すぎるよということで適正な価格を販売するというのもすごくメリットがあるし、長い目で商品がずっと売れていくというのはある意味お客さんが市場価格をある程度決めていく傾向がありますので、そこの関係をきちっと築くことが大事かなと、ここのところを心がけています。
あとは自分の精神面的なところで、営業というのはけっこうモチベーションというのが非常に大事だといわれることをよく聞くのですが、まず自分がある程度割り切ったようにそういう状況を考えるというか、教訓というほど大それたものではないですけれど、基本的に考えている部分が3つほどあります。
まず自分自身が100%、目いっぱい行動するとこれは不思議なことにいろいろな人が、大口なお客さんが現れてきたり、お客さん以外にお客さんを紹介してくれるような人が現れたり、もしくはいろいろなところで支援していただけるような方というのが現れてきたりしました。逆に自分が、いいや人に任せて売れればいいや、と思うと今度はなかなかうまくいかないという。不思議なものでそういうことが自分自身の教訓として考えている。それから私がセールスレップ事業ということをやはり始めた時は、自分が売らないと話にならないというところで、やはり営業活動を100%からスタートしています。
それともうひとつは食っていけないというところが、自分のなかでトラウマになっている部分があるのですが、それがあることによって、なかなかおっかなびっくりやっていたということが昔あったことないですね。なんか食えなくてもいいやという開き直りを最初にしちゃおうかなと思っています。これ一営業マンとして自分が考えていることなのですが、私は独身ということもあって、例えば付き30万円で生活ができるとすると、まあ180くらいで半年間。半年くらい仮に売上ゼロだったらゼロでいい。180万と考えるとけっこう楽になるというか、まあ死ぬことないしなとか。そういうことを考えてフルコミッションの営業マンを続けている考え方ですね。
あとこれはやり続けなければいけないというのが。成功するまでやり続ければ絶対成功するよという話なのですが、そんな簡単にやり続けられないのでその場その場の仕事をいかに自分なりに楽しめるようにすることが長続きできる秘訣かなと。ちょっとありきたりかもしれないですが自分なりに思って、精神面ではこういうことを考えながらセールスレップを営業としてやっていきます。
あとこれで最後になるのですけれどもあくまでも私が一人で営業をやっていた時は非常にくじけそうになって何度もいろいろな方に助けてもらった。助けてもらったというのは一緒に酒を飲んだりとか、頑張ろうぜとかそんなところから始まったり、お客様を紹介していただいたり、そういうことがあったからこそ、いまでも人と話すのが好きだから営業が好きということもあるのですが、やり続けられている最大の原因かなと自分なりには思っています。今日多くの方が集まっていただいていますので、やはり力を合わせて、一人では僕はいやだったので、そうじゃない方ももしかしたらいらっしゃるかもしれないけれど、より多くの人と情報交換をしながら、助け合っていきながら日本に根付いてないものですから、それを根付かしていきたいなということを真剣に考えています。
そういうところで私の経験は、ほとんど失敗の連続なのですけれども、その中ならひとつでも何か今後の皆さんのお役に立てることがあればというような形でお話をさせていただきました。どうも長いあいだ御静聴ありがとうございました。
(拍手)
(了)